ヒーハー!合唱

さて、始まりました「ヒーハー!合唱」。

第1回目は「映画と合唱~その1」であります。
とは言うものの、ご承知のとおり合唱をテーマとした映画は洋画・邦画ともにさほど多くありません。
しかもヒット作品となると更に少ない。邦画では「くちびるに歌を」が数少ない成功例かもしれません。
なぜ合唱のテーマは映像作品として成功しにくいのか。
これは私見ですが、本来の合唱というものの特質にも関係しているのではないかと思うのです。
まず、スポーツやビジネスや戦闘・戦争、人類の危機や宇宙の平和、悪い魔法使いとか無法なガンマンとの対決、といった「勝ち負け」がはっきり目に見えるものではないこと。
その意味では合唱コンクールを「勝ち負け」として捉えるならば、仮にコンクールが4年に一度しかないならば話が変わって来るのかもしれませんね。つまり劇的な要素が強まるかも。
でもそうはならないのは合唱活動というものは恒常的なものであって「人が入れ替わっても成り立つ」ものだからです。
人が入れ替わるから毎年コンクールが開かれるわけで。
そもそも論でいうと「コンクールが合唱の全てではない」ということがあります。「勝ち負け」の価値を重要視するかどうかです。
優秀な歌い手が卒業しちゃったからコンクール的には今年は難しいよね、となることもあるでしょう。また、毎年コンクールで優秀な成績を残してきた名門校はその伝統を守らなきゃという使命感もあるでしょう。
でもそれは映画にはなりにくい。合唱活動の中にいて、コンクールに出ている人にはよ~くわかるけれど、コンクールに出ない合唱団もあるわけで、なおかつ合唱に触れたことのない人々にとってはその価値観は偏狭すぎる。
もちろん、コンクールに青春を捧げるのを否定するわけではありません。なんにせよ志を同じくする仲間とともに何かに打ち込む姿は美しいですから。
ちはやふる」はなぜ成功したのか。「スイングガールズ」は、「ウォーターボーイズ」は?
ヒットしたこれらの青春一生懸命映画に共通しているのは「重くない」こと。

ある意味、(意識的に)コメディ的に描かれています。

ということは・・・合唱のテーマは「重い」のです。言い換えれば「深淵」。
くちびるに歌を」も例外ではありません。ガッキー先生がピアノから離れなければならなかったトラウマ、合唱団のエースの家庭問題、自閉症の兄を懸命に守ろうとする弟・・・。
声は、歌は人間そのものです。人間を描かざるを得ないのです。これが重く、深淵になってしまう理由かもしれません。
だからこそ僕たちは真摯に青春や人生と向き合いつつ、歌に想いをこめることができるのです。

 

前置きが長くなりました(*_*;
今回取り上げるのは2004年のフランス映画でタイトルもズバリ、「コーラス」です。(原題 Les Choristes)

劇場でかなり以前に観たのですが本稿を書くにあたり、もう一度見てみようと〇〇〇〇YAさんで探したけれど置いてなくて取寄せレンタルをお願いしました。

たぶん今後取り上げる作品も同様になると思います(*_*;。

 コーラス : 作品情報 - 映画.com

簡単な映画情報を。

2004年フランス映画。監督のクリストフ・バラティエが1944年のフランス映画『春の凱歌英語版フランス語版』を原案に制作した作品である。(wikipedia

 

※「春の凱歌」も探してみたのですが詳細はわからず。

 

〈あらすじ〉

現代 ニューヨークで公演中のフランス人指揮者、ピエール・モランジュは劇場の楽屋で母の死を告げる電話を受ける。公演を終えたモランジュは葬儀のためにフランスへ。

母の埋葬を終えたモランジュのもとへ一人の男性が訪れる。モランジュが少年時代を過ごした「施設」で一緒だった友人ペピノだった。

ペピノはモランジュに一冊のノートを見せる。それは彼らの施設に音楽教師・舎監として赴任してきたクレマン・マチューが残していた日記だった。

 

と、そこから時代は戦後間もない1949年にさかのぼります。

 

楽家(作曲家)になる夢を捨てたマチューが得た職は、「池の底」と呼ばれる保護観察施設であり、戦争で身寄りを失くした孤児や問題行動を起こして他の学校から更生のために送られた子供や家庭の生活苦のために預けられた子供らが寄宿生活をしている学校での舎監だった。

いわゆる問題児ばかりの学校であり、校長をはじめ教師たちも子供たちを厳しい校則と体罰で従わせることに躊躇がなかった。

マチューも教師としての尊厳を保つことが難しい状況だったが、子供たちの孤独な目を見つめるマチューは決して力づくで彼らを押さえつけようとはしなかった。舎監として子供たちと寝起きを共にしているあいだに子供たちがたわいもない歌を好んで歌っていることに気づく。マチューは自分が作曲した簡単な歌を子供たちに歌わせながら合唱隊を作って合唱によって子供たちの寒々しい心を溶かすことができるのではという希望を持ち始める。自らの出世や栄達に固執する校長は子供たちの更生に興味を持たず、「合唱団など無駄」と活動に難色を示すが、マチューの熱意に渋々許可を出す。当初嫌々歌っていた子供たちも次第に歌う歓びや楽しさに目覚めるのだが、他の教師が「悪魔」と呼ぶ問題児モランジュは頑なに皆と歌うことを拒んでいた。

しかし、ある日の放課後マチューは誰もいないはずの教室から美しい歌声を聴く。歌っていたのはモランジュ・・・。

 

その後、合唱団は上達し、施設の支援者の集まりでも見事な歌声を発表したりもするが、校長は自分の手柄にしてしまいます。モランジュは音楽の才能を伸ばすため、マチューの口添えで音楽学校へ進学し、長じて世界的な指揮者となるわけです。ところがどこにも引き取り手がなく「池の底」に入学してきた少年が起こした火災・窃盗事件の責任を被せられたマチューは施設を去ることになってしまいます。そっと「池の底」を後にするマチューのあとを追って駆けてきたのが身寄りのない幼いペピノだった。マチューは一瞬の逡巡の後、ペピノを抱き上げ、共にバスに乗る・・・。

 

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幼いペピノを演じたマクサンス・ペラン君 いたいけ!

というのが大まかなあらすじです。

 

少年期のモランジュを演じたのはサン・マルク少年少女合唱団でソリストだったジャン=バティスト・モニエ君。声もだが、顔も美しい(>_<)

 

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何とも寂しい瞳を持つ少年期のモランジュを演じたジャン=バティスト・モニエ君

「池の底」を去るマチューの頭上で、校長から見送りを禁じられた子供たちが教室の窓から別れの言葉を書いた無数の紙飛行機を飛ばしながら手を振るシーンは泣けます。

 施設支援者の前で合唱団はラモーの「夜」を歌います。その前のいきさつでマチューはモランジュを合唱団から外していたのですが、この曲のソロをモランジュに託します。ぱっと輝くモランジュの顔。指揮をするマチューと天使の声を響かせるモランジュの視線が繋がり合うシーンは鳥肌が立ちます。

 

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主役のクレマン・マチュー役のジェラール・ジュニョ

 

どんな境遇にあっても子供たちにとって歌はかけがえのないもの。歌う歓びといつ巡り合うかによってその人の人生は大きく変わるかもしれない。その才能に気づき、育てることが大人の役割であることをこの映画は教えてくれます。

冒頭にも書いたように、「コーラス」も決して明るい映画ではありません。

「池の底」の幸福とはいえない子供たちに対してまっとうな大人がしっかりと向き合うことで人の運命が変わってゆきます。このことは現代にも通じることだと思います。その過程の中にコーラスが大きな役割を果たしていることを描くこの映画は、合唱に携わる大人の私たちに新たな勇気を与えてくれるものと思いました。

 

映画「コーラス」、お近くのレンタル屋さんで探してみてくださいね(^^♪

 

次回の「ヒーハー!合唱」は映画と合唱~その2 『我が道を往く』」の予定です。 ではまた会う日までごきげんよう