キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱

今年も残り1週間。最近映画ネタばかりだなあと思いつつもさらに。

 

キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」

キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 | キノシネマ kino cinéma 配給作品

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もう上映は終わってますが。

いわゆる「伝記もの」ではあるが、決して偉人紹介という描き方ではありません。

 

小学館版「学習まんが人物館 キュリー夫人

ノーベル物理学賞ノーベル化学賞の二つを受賞した女性科学者!

夜の静けさの中、そまつな実験室で、キュリー夫妻は、暗やみの中に青白く輝く光を見つめていました。それはラジウムの放つ光であり、このラジウムの発見こそ、原子力時代の夜明けをつげるものでした。マリー・キュリーは、1867年にポーランドワルシャワで生まれました。当時のポーランドは、ロシアの支配下にあって、キュリー一家は苦しい生活をしいられました。物理の先生をしていた父の影響もあり、物理が好きになったマリーは、パリへ出て、ソルボンヌ大学へ入学しました。そこで知り合った物理学者、ピエール・キュリーと結婚し、二人の共同研究が始まります。二人の女の子が生まれましたが、この間にも、マリーは家事をこなしながら研究を続けました。キュリー夫妻は、ピッチブレンドという鉱物の中には、ウランよりもはるかに強い放射能を出す物質があると考え、実験をくりかえしていきます。そして、1898年、4年にわたる実験のすえ、キュリー夫妻は、ピッチブレンドの中から、ポロニウムラジウムを発見したのです。この功績で、夫妻はノーベル物理学賞を受賞しました。その後、マリーは夫ピエールを事故で失いますが、その悲しみをのりこえて研究を続け、1910年に、金属ラジウムを取り出すことを発見し、ノーベル化学賞を受賞しました。二つのノーベル賞に輝くキュリー夫人の、ひたむきな姿を感動的に描いた科学者伝記です。

キュリー夫妻の「功績」という見方からすればこういう内容になってしまいます。

新しい物質の発見に人生を捧げたキュリー夫妻の姿は科学者として偉大でありました。しかし、ラジウムの発見がその後の半世紀の間に世界に残酷な影響を与えてしまった事実、キュリー夫人の研究の功績が罪悪ともいえるものに変容していった事実をこの映画は描いていきます。

この映画の原題は「Radioactive」=「放射能による、放射性」。

夫、ピエール・キュリーは46歳で馬車に轢かれて即死したがその前から体調を崩していた。マリ・キュリーは66歳で死亡。死因は再生不良性貧血となっているが、生前の体調不調が放射性物質の影響であることは頑として認めなかったらしい。

朦朧とした意識の中でキュリーは未来の世界を垣間見る。それはアメリカ・ネバダでの核実験場で一瞬で吹き飛ばされる模型の住宅と焼けただれるマネキン。広島・長崎で立ち昇るキノコ雲。爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発の中で防護服も付けず救出に向かう職員や技術者たちの姿・・・。

そもそも医療の最先端技術貢献のための研究だったはずだったものが、大量殺りく兵器の素因となってしまったことは、すべてがキュリー夫人らの責任というわけではないし、キュリー以後の科学者たちこそ多くの責を負うべきものなのだろう。

 

マリア・カラス、パバロッティ、レイ・チャールス、フレディ・マーキュリーエルトン・ジョンジュディ・ガーランドエルヴィス・プレスリーなど最近ミュージシャンの伝記映画が多いけれど、彼らはいわゆる「芸能人」だからゴシップ的だったりスキャンダラスな内容があったとしてもそれはそれで「そういう人だったんだよね~」で済むけれど、テスラとかエジソンは現世界に直接繋がる存在としてどういう思想をもっていたのかが重要だし、そこにこのキュリー夫人の「功績」の眩しさが作り出す陰はあまりに重く暗いのです。

映画として傑作かといわれると、先述のキュリー夫人が見る未来の幻影(事実なんだけど)のシーンはやり過ぎの感もあり、少し安っぽくなってしまった気がします。

しかし、「キュリー夫人」ではなく「radioactive」であれば描かざるを得なかったのだろうな。

 

デヴィッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」が伝記映画としての金字塔であることをあらためて感じたりもした「キュリー夫人」でした。


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