長崎に存在するオーケストラの一つ、「フィルハーモニックオーケストラ長崎」の創設者であり団長であり指揮者でもあった小山大作君の訃報を聞いた。FBもTwitterも縁がない僕が気づいた時には通夜も葬儀も終わっていた。
彼は南高14回生の同期で、1年の時は同じクラスだった。
僕はコーラス部で、彼は吹奏楽部だった。
当時、彼がファゴットのレッスンを受けに福岡まで定期的に通っていると聞き、そんな世界と無縁だった僕はほお~、と驚いたものだった。
コンサート前夜、酒屋の息子だった彼の実家にオケメンバーが集って酒盛りになり、小澤さんも顔を出したよと後で聞いて、羨ましく思ったものだった。
2006年、彼は長崎に戻りフィルハーモニックオーケストラ長崎(PON)を立ち上げた。
その活動についてはPONのHPに詳しい。
彼はいつもひょいっと現れ、ニコニコして朴訥と話す非常にシャイな男だった。
しょっちゅう会うことはなかったが、彼が長崎に居てくれることは僕にとって根拠のない安心感をもたらしてくれていた。長崎の音楽界の端っこに関係している僕は、ひょいっと現れる彼と音楽の話ができる時間が好きだった。
思えば、去年の12月のPON演奏会にウチの長男がエキストラ出演させてもらった後で、ひょいと電話をかけてきて、息子の演奏をベタ褒めしてくれたのが最後の会話だったかもしれない。
2006年11月、PONのファーストコンサートのメインステージはブラームスの交響曲第一番だった。誕生したばかりのオーケストラの産声は、会場がオーケストラの演奏には狭すぎるカナリーホールだったとはいえ、粗さもあったが、ホールを揺るがすグルーヴ感に溢れていて、僕は新しいオーケストラの誕生を心から喜び、祝福する気持ちでいっぱいになった。
1987年、小澤さんがサイトウ・キネン・オーケストラの名を冠しての第1回ヨーロッパ公演をおこなったときのメインステージもまたブラームスの一番だった。小山君にとっても思い入れのある曲だったのだろうと思う。
いつもひょいと現れる彼は、ひょいといなくなってしまった。
そして、大好きなブラームスの一番は、僕にとっては違う意味で特別な曲になってしまった。
明日、ブリックホールでコンセルヘボウがブラームスの一番をやるのだが、そのチケットを求め損ねたことは幸運だったかもしれない。
きっと客席で号泣してしまうだろうから。
バイバイ、大作。
いつかPONと合唱曲で共演できないかなと夢見ていたけど、間に合わなかったね。
またいつかどこかで、ひょいと会おう。
(左が小山大作君。右はPON・コンマスの中原さん)