PERFECT DAYS

おそらく僕にとって本年最後の映画であり、本年を締めくくる一作。

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すでに話題満載の本作には賛否両論、好き嫌いさまざまです。

感想は勝手なので否定派もあって構わないけど、僕は完全に肯定派です。

旅をしないロードムービーと思います。

ノマドランド」にも「ドライブ・マイ・カー」にも通じる抒情に身を任せて、ラストシーン、そこに流れるニーナ・シモンの「Feeling Good」に、平山さんと一緒に涙すればよいのです。

役所さん、流石です。


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涙の所以~クレイジー・フォー・大奥

5、6歳の頃、O.ワイルドの「幸福の王子」の絵本を読みながら泣いていて両親から心配された記憶があります。だって王子とツバメがかわいそうでかわいそうで・・・。

 

それからほぼ60年、歳のせいでさらに涙もろくなっているのは分かっているのですが。

NHK「大奥」で毎回泣いてしまいます(;'∀')

脚本の見事さ(人物描写)と俳優陣の熱演によるのでしょう、シーズン1から現在のシーズン2医療編・幕末編前編~後編に至るまで数々の名シーンに泣かされています。

多くの役者さんたちにとっても「大奥」はターニング・ポイントのひとつになるのだろうと思います。

 

で、こないだ劇団四季の「クレイジー・フォー・ユー」公演を観たのですが、こちらはのっけから涙腺がゆるみっぱなし。

ストーリーとしてはなんていうこともないのだけれど、四季メンバーの歌とダンスのあまりの完成度に圧倒され、これほどの舞台を2時間半近くも演じ切る彼らの情熱と努力を目の当たりにし、涙があふれて困りました。

お金もいらない”くらい幸せ!劇団四季「クレイジー・フォー・ユー」間もなく開幕(会見レポート / 舞台写真あり) - ステージナタリー

カーテンコールの時は満員の観客がスタンディングオベーション👏。手首がどうにかなりそうなほど拍手しましたよ。

 

エンタメでこれほど泣けてしまう幸せはすなわち平和である幸せでもあります。

 

 

ヒトはなぜ歌うのか 

作曲家のなかにしあかね氏が2011年6月に当時宮城県宮城学院女子大学教授をされていたころに著された研究論文を「たまたま」読みました。(研究論文集112号)

なかにし あかね | 宮城学院女子大学

そのタイトルが「ヒトはなぜ歌うのか」

 

論文はA4サイズで11ページに亘り、

1.歌はどのように生まれてきたのだろうか

2.表現とは何か

3.コミュニケーションとしての歌

4.音楽表現としての歌~西洋音楽における歌作品を歌うということ~

の4章、そして「おわりに」

 

天才的作曲家は三善晃武満徹の文章を読めばわかるように(「わかる」は「理解できる」ではない)実に独創的で、超凡人の僕などにはおそらく2%ほどしか理解できていない自信があります。

しかし天才的合唱作曲家であるなかにし氏の文章は言葉としては比較的平易である(超凡人にも理解できるよう苦心されたのだろう)のですが、その柔らかい文章が包含する洞察は深く、わずか11ページに簡明にそぎ落とされた文章を要約する技量を僕は持ちません。

というわけで「4.音楽表現としての歌」から一部引用することにします。

(以下、緑文字)

 

ここにひとりの悩める歌手氏がいる。彼が歌うのは生活のためかもしれないし、足が速いとか手先が器用だというのと同じレベルで、いい喉を持っているという身体機能の特性を生かそうとした結果にすぎないかもしれない。とにかく、彼は音楽表現手段としての「歌う」技術を身に付け、人に聴かせてお金を頂くまでに磨き上げた。

彼は一枚の楽譜を前にして思う。

「こんな詩はナンセンスだ!こんなストーリーはありえない!」

しかし彼はその歌を練習し、決まった日時に人に聴かせなければならないだろう。

「よし、この詩は好きだ。共感できる。しかしこの音楽はいったい何なんだ?!」

あるいはこう考えるかもしれない。

「この歌詞も曲も素晴らしい!!しかし難しすぎる・・・!」

彼はひたすら努力し、本番の舞台で失敗しそうなフレーズを気にしすぎないで歌えることを祈るしかない。

(中略)彼はまず詩の理解に努めるだろう。この詩は何を言おうとしていて、それはどのような背景に基づくのか。この詩の真のメッセージは何か。彼はそれらの言葉を自分自身の言葉として自らの内から発するまでに嚙み砕き、消化しなければばらない。

そして、その詩をどのように彼の商売道具としての歌声に乗せるかに苦心する。この言葉は歌う言語としてどこにどう響かせればよいのか。この文脈で歌われるときどう発音されるべきなのか?日本語のように一音だけでは意味を伝えにくい場合は特に要注意だ。彼の発する「か」は「母さん」かもしれず、「鐘」あるいは「金」、もしかしたら「悲しい」のか「かすか」なのかもしれない。(後略)

 

この後、歌手氏の苦悩はさらにつづくのだが、作曲家にとっての苦悩も。

 

芸術分野において作曲家という存在は、その表現が受け手にダイレクトに届かない希少な存在である。画家も小説家も演奏家も、彼らの表現はそのまま直接受け手と対峙するのに対し、作曲家の作品は多くの場合演奏家に演奏されて初めて形を成す。上手に演奏されることは、よい作品に聴こえるために絶対必要な条件である。ましてや歌ともなれば、声という楽器はひとつひとつ手作りであるために、どんな楽器に当たるかによって出てくる音は全く違い、楽器としての平均値というものが存在しない。(後略)

 

演奏者側からすると少々耳がイタイ。

 

聴衆にとっても歌を聴くことは他の楽器を聴くよりも賭けの要素が強い。「聴くに堪えないピアノの演奏」というものはあるとしても、「聴くに堪えないピアノの音色」にはめったに出会うことはない。しかし「聴くに堪えない声」に出会う確率は楽器よりは高い。(後略)

 

同じく耳がイタイ。

歌手氏に戻る。

 

それでも歌手氏は歌う。作曲家は歌を書き、聴衆はチケットを買う。なぜだろう?「当たり」が出た時の快感が何にも増して大きいからだろうか?脳のアンテナがビンビン反応するような心地よい声の響きにくるまれる快感。歌詞の世界に没入することができれば、最高の非日常を経験できる。3分間の歌曲一曲で、人生を表現しきることもできれば、オペラ一幕で涙を一滴残らず搾り出すこともできる。それらの経験を共有する瞬間の幸せは何にも変え難い。(後略)

 

歌を創り歌を歌う行為は今や高度な芸術表現として発達し、そのもたらすものはより多彩に変化し続ける。歌は、おそらく脳の中で、器楽だけの音楽とは違うところで受け取られ、処理される。人間の脳は人の声に強く反応し、言葉に敏感に反応する。そこに表現されるものを聞き取ろうとする本能が備わっている。だから聴衆は、さまざまな難関に悩まされながらも歌い続ける歌手という人種に対して、他の演奏家とは質の異なる畏敬の念を持ち、温かく、また厳しい。

(中略)歌は表出させ、歌は表現する。歌は伝え、歌は受け止められる。歌は誰かとつながろうとし、自分自身をつなぎとめようとする。歌は共有され、共感される。歌は純粋な詩の意味も、雑多な欲求のかたまりも、メッセージとして発信する。「うた」の半分は音楽で半分は文学である。歌は社会的でもあり同時に個人的でもある。歌は日常であり、非日常である。歌を創り、歌を歌い、歌を聴くという行為は、多面的複合的要素の集合体のやり取りであり、連綿と受け継がれた我々のDNAにプログラムされている。

「あなたはなぜ歌うのか」の答えは、あなたが歌う歌、歌うときの数だけある。

 

※「雑多な欲求のかたまり」については「2. 表現とは何か」の章で詳しい。

 

4章で一旦終えられたはずの論文に、東日本大震災後に付け加えられた「おわりに」の章は感動的で目頭が熱くなります。

なかにし氏に接したことがある方はご存じと思うけれど(僕は数回お会いしただけですが)、気さくで、丁寧で、頭の回転が速く、情に厚い、素晴らしい「人間」であることがこの章からもよく分かる。

最後に「おわりに」の章の最後を。

 

「人はなぜ歌うのか」の答えは、歌う人の数、歌う歌の数、歌う時の数だけある。それが人を生かすものであってくれるように心から願いながら、私は、歌をうたうということについて考え続ける。

 

端折ってしまった1,2,3章を読んでこその結びでありますので、お時間ある方はご一読を(^^♪

論文の全文へのリンクは

https://www.mgu.ac.jp/main/educations/library/publication/kenkyuronbun/no112/03nakanishi_112.pdf

 

 

 

 

 

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

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舞台はオクラホマですから「西部劇」とは言えない気もしますが・・・。

3時間26分という最近珍しい長尺ながらさほど長さを感じさせないのですが鑑賞前の水分は控えたほうがいいかも。

 

これも前情報無く観て、「実話ベース」というのは後に知ったのです。

いわばアメリカの「黒歴史」のひとつを丁寧に描いているのだと思います。

荒野に噴き出す黒い液体、その周りで歓喜に踊るネイティブ・アメリカン(今、インディアンという言葉は使っちゃいけないのかな?)たち、険しい表情のデカプリオ、意志の強さを感じさせる眼差しのグラドストーン、微妙に苦い表情のデ・ニーロ。このチラシを見るだけで何となく映画の雰囲気が浮かび上がります。(観た後だからそう思うのか)

 

「フラワームーン」というのは元々そのネイティブ・アメリカン族の中で使われる5月の満月を表す言葉だそうで、毎月の満月にはそれぞれ自然と結びついた〇〇ムーンという名前があるようです。

本来の生活地を追われ、たまたま居住区となったオクラホマ原油が出たことによって石油利権というとんでもない財産を手にしたネイティブ・アメリカンに起こった悲劇が細かに描かれて、じわじわと寒気と憤りが湧いてきます。

 

冷酷な犯罪に手を染めてしまうダメ男を演じるデカプリオの表情が時にマーロン・ブランドに激似だなあと。意識的かどうかはわかりませんが、そういえば1973年のアカデミー賞授賞式でのマーロン・ブランドの主演男優賞受賞拒否(「ゴッドファーザー」)事件を思い出してしまいました。

サチーン・リトルフェザー

ブランドの代理として出席したアパッチ族出身の女優サチーン・リトルフェザーがブランドが受賞を拒否することをスピーチした。詳しくはこちら。

 

原作は「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死とFBIの誕生」というフィクションですので珍しく(?)やる気に満ちた連邦捜査官が事件を明らかにしていきます。

「ザ・ホエール」でアカデミー主演男優賞を受賞したブレンダン・フレイザーも贅沢な使い方で出演。ジョン・リスゴーは気付かなかった(^-^;

ブレンダン・フレイザー Brendan Fraser

リリー・グラドストーンの佇まいは美しく、唯一「善人」を演じるにふさわしい。

 

それにしても映画館はほぼ貸し切り状態でした。

こんな長い映画は映画館で観たほうがいいのにと思うのですが。


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ザ・クリエイター 創造者

これはどう観たらいいのか考え続けながら観ていた。
寓話なのか壮大なる未来予知なのかそれとも単なるSFとして観ればよいのか。
映画を前もって下調べして観ることはほとんどしないのでほぼ知識ゼロの状態で観たのが悪いのか。

東アジアの風景の中に巨大なA.Iの建造物がたしかに存在し、A.Iの後頭部に空いた空洞のビジュアルもインパクト充分でその見事な映像技術だけでも見応えがある。

A.Iを守り抜こうとするアジア代表リーダー格の渡辺謙さんもA.Iなんで頭に穴空いてます(^-^;


22年前にスピルバーグが描いた「A.I」は近未来のピノキオであったと思うし、キャメロンが造りだした「ターミネーター」の世界観はA.I化への警鐘だった。
「ザ・クリエイター」はもちろんそのどちらとも全く異なって(もしかしたらどちらにも共通しているのか?)A.Iを描きながら極限の人間の愛を描いていると言える。
背景として、A.Iによってロスアンゼルスを廃墟にされた(と信じている)アメリカはひたすらA.I撲滅に血眼になり(その設定自体はたとえばアルカイダによる同時多発テロをイメージされたものかもしれない)、実はA.Iはアルカイダと違ってアメリカを、人類を敵対視してはいないし、その存在は人類のはるか高みにあって人類との対決などとは露とも思っていない。主役の一人であるA.Iの少女アルフィはもはや「神」に近い存在(イメージとして大友克洋の「童夢」や「アキラ」の影響が色濃い気もする)とも見える。

新・東アジア(タイ、ベトナムカンボジア、ネパール、ミャンマーチベットなどをイメージ)の人々だけがA.Iを理解し、共存を果たしているのは宗教感の違いなのだろうか。

これまでの人類vsA.I作品と一線を画する本作は、僕たちに「異質なものを受け入れるチカラ」を持っているかを問うている映画なのかもしれない。


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ムノツィル・ブラス、最高!

生で見ちゃいました聴いちゃいました「ムノツィル・ブラス」!

ウイーンの音楽家7人(トランペット3人、トロンボーン3人、テューバ1人)で構成され、クラシックをベースにしながら多種多様なパフォーマンスで楽しませてくれます。

まさにプロの音楽集団が結成30周年記念ツアーの一環で佐世保に来てくれました。

ほとんど喋ることはないにもかかかわらず、見事な演奏と絶妙な客いじりであっという間に至福の時が過ぎていきます。そう、音楽にことばの壁はないのです。

説明するのは非常にもどかしいので機会があればぜひ彼らのステージを体験することを強く!おススメします!

少し前の記事ですが、こちらで彼らの音楽の楽しさを垣間見ることができます。

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沈黙の艦隊

沈黙の艦隊 | あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品・上映情報 - 映画ナタリー

ご存じ、原作は1988年~1996に亘ってモーニングに連載されたかわぐちかいじ氏の漫画。当時単行本が出るのが待ち遠しく、既刊を読み返しながら待っていました。

もちろん我が家にも全艦、いや全巻(32巻)揃っています。

この大河マンガを映画化って絶対に無理と思ってましたが・・・。

はたして今回の「沈黙の艦隊」は、まさにプロローグ。トークショー?でプロデューサーでもある大沢たかお氏が「皆さんに受け入れられるならば自作を」と言っているように、ある意味では「はい、今日はここまで~」という開き直りの一作です。

個人的には大河ドラマのように長い時間をかけてじっくりと観たいものですが(そうでなければ「沈黙の艦隊」の面白さとテーマは到底伝わらない)、大沢氏もそれをよくわかっていての本作なのでしょう。

 

キャスティングは個人的にはいろいろ思うところがあって、特に米大統領ニコラス・ベネットは違うなあ・・・。もう亡くなってしまったし生きていたとしてもギャラ的に不可能だろうけどフィリップ・シーモア・ホフマン!(と思ってマンガを読んでいた)

竹上総理(笹野高史さん)もちょっとイメージ違うけど、頼りない感じは出てたし名優さんですからこれからどう変わるかだな。

ヤマト艦のソナーマン溝口を演じる前原滉君、超クールで良い(^^♪

 

今の世相を反映して女性を乗艦させるのは、まあ仕方ないか(^-^;

 

マンガ「沈黙の艦隊」をこよなく愛する者として突っ込みどころも満載艦ではありますが、今後の成り行きに注目しましょう。VIVANTに負けちゃいられないですからね。

何年先かわからないけどキャストが歳をとらないうちにベイツ兄弟艦との対決、直角に屹立して浮上するヤマト、国連での海江田四郎の演説、是非観たいです!

 


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