長崎原爆の日

今年の長崎平和式典をテレビで見ながら、「運命」みたいなものについて思った。

 

父は師範学校生だった16歳の時に、当時大橋にあった軍の兵器工場で学徒労働をしていて、その日つまり爆心地にかなり近いところで被爆、その数日後に瀕死の状態で故郷の島原の実家に帰り着き、一命をとりとめた。

僕の母は18歳で、東長崎(古賀地区)の実家近くにいて、(長崎市内方向の)山の向こうが真っ赤に光ったのを目撃した。

数日後、母は救護団の一員として長崎市内に入り、しばらく救護活動をしたという。

 

父は被爆時に頬に負った傷の跡がまるで刀傷のように残っていたので、後年になって初対面の人には危ない関係者の人間かと恐れられたらしい。

父は故郷でほぼ一年かけて回復したが復学は出来ず、当時長崎市内で事業をしていた親戚を頼って長崎にやってきてその仕事を手伝い始めた。

 

父と母がどう出会ったのかは聞いたことがないのだが、もしも8月9日に兵器工場で運悪く父が亡くなっていたら(実際、父の同僚たちは大多数そこで亡くなっている)、今の僕は当然存在しない。

また、父がその時その場にいなくて、原爆に遭遇していなければ、あるいは原爆そのものが長崎に落とされてなければ7万数千人が亡くなることはなく、二宮君は立派に医師となり小百合母さんと平和に暮らしたかもしれないが、そのかわり僕の父と母が出会うこともなかっただろうから、今の僕は存在しない。

そうすると僕の息子たちも存在しないわけで、現在たまたま二人とも教壇に立っているのだけれどその生徒さんたちには別の先生たちが就くわけで、そうなったときに生徒さんたちの運命も少なからず変わっていくのだろう。

 

原爆の威力・破壊力は蝶のはばたきとは比べようもないが、いわゆるひとつの「バタフライ効果」であり、その影響の予測困難性は「運命」と呼ばざるを得ない気もする。

永井隆博士は被爆後に「神の摂理」という言葉を使ったことで大きな波紋を呼び起こしたのだが、僕のようにクリスチャンでない人間にとってもさまざまな「摂理」を感じたりするのだ。

生きている限り、世界中の誰もが(人類だけじゃないけれど)バタフライの羽ばたきをし続ける。その影響が少しでも多くの人の幸福に繋がるような、そんな羽ばたきをしたいとは思うが、「摂理」はそんなに楽観的ではない気もする。