ヒーハー!合唱 (その2)

ヒーハー!合唱
さて、「ヒーハー!合唱」。第2回目は「映画と合唱~その2」であります。

 

今回取り上げるのは
1944年製作のアメリカ映画『我が道を往く』(わがみちをゆく、Going My Way)です。

Amazon | 我が道を往く [DVD] FRT-069 | 映画
恥ずかしながら実はちゃんと観たことがなく、今回初めてこちらも「お取り寄せDVD」でじっくり見直しました。
なんと76年前に作られた映画ですからもちろんモノクロ。
待てよ?
1944年というと第二次世界大戦の真っ只中ですから、当然日本国内で敵国映画が上映されるはずもなく、日本での公開は戦後1946年10月だそうです。
その年の3月に、ビルマでは小山裕一さんも従軍したインパール作戦が行われていた・・・。
まあそんな最中にこのようなヒューマニティに溢れる作品をアメリカは作っていたということです。
第17回アカデミー賞では作品賞をはじめ、その年の最多となる7部門を獲得した作品。
この作品でもコーラスは前回取り上げた『コーラス』同様、チョイ悪な子供たちによって披露されます。

脚本家猪俣勝人氏が昭和49年12月に発刊された「世界映画名作全史(戦後編)」という本があります。

f:id:dynger5070-29:20201109144244j:plain



戦後日本で公開されたものから昭和47年公開の「ゴッドファーザー」まで、氏が選出した150本ほどの名作が紹介されています。
その最初に著されているのが「我が道を往く」なのですが、その時代に青春期をリアルタイムで過ごされた勝俣氏による紹介文がとてもこころに沁みるものなので、勝手に引用してみます。

 

この映画がハリウッドで作られた1944年(昭和19年)、戦争の影は暗くわれわれの頭上にのしかかっていた。もういくら勇壮なるマーチを奏でられ、赫々たる勝利の大本営発表を聞かされても、すこしも心は弾まなかった。国民のほとんどはすでに敏感に感じ取っていた。日本は負けていることを。同年7月にはサイパンが陥落した。8月には学徒動員令が発令され、角帽をかぶった多くの若者が出動していった。11月にはB29が東京を初空襲した。このように刻々と敗亡の時が迫りつつある時、映画界だけがめざましく活躍できるわけはなかった。映画が国民の士気高揚に役立つといわれながらも、背に腹はかえられず、生フィルムの極度の不足により劇映画は2千メートル(73分)以内に抑えられ、それまで併映を条件づけられていた文化映画は中止となった。
同じ頃、アメリカでは悠々と「我が道を往く」「キューリー夫人」など不朽の名作が作られていた。そこにはまったく戦争の匂いがなかった。あるものはただ馥郁たるヒューマニズムの昂まりだけであり、しかもそれはゆったりとした余裕のうちに物語れていた。
戦争が終わり、惨憺たる飢餓感に心身共にさいなまれながら、われわれはアメリカ映画を見た。そしてその豊かさに文句なく脱帽した。一番不思議だったことは、廃墟の路上を日本娘を抱えて傍若無人に歩く若きアメリカ兵士には強い反感を覚えながら、同じアメリカ人が作った映画には何の抵抗もなくすんなりと共感されたことだ。その理由を考えてみる。その一つは戦前から長く親しんできたスターがそのままの姿で出ているためだろう。そしていま一つは、その映画の中に戦争の影がまったく見られないことだ。相変わらずアメリカ映画独特の理屈抜きの面白さが画面に横溢していて、ゲラゲラ笑っているうちに何かジーンと胸の熱くなる快い感動に誘い込まれていくのである。私はこの「我が道を往く」を見ての帰り、初めて日本はアメリカに遠く及ばなかったのだと強く感じた。そして映画というもののもつ力をいまさらの如く教えられる思いがした。

 

戦後生まれの私には実感しようのない、当時の日本人の心情が伝わってきます。


ざっとあらすじを。
時代的には1944年当時なのだと思いますが。
ニューヨークの下町にあり、周囲の環境もあまりよろしくないドミニク教会は寄付も少なく、老朽化した教会を修復する資金もない。40年以上、教会を守ってきたアイルランド出身の神父フィッツギボン(名優!バリー・フィッツジェラルド)は実業家ヘインズに寄付を乞うが冷たくあしらわれる。そんなドミニク教会に新しい副神父としてチャック・オマリー(ビング・クロスビー)が赴任してくる。街の不良たちともすぐに仲良くなったり、歌手志望の家出娘キャロルの面倒を見たりとおよそ神父らしくない言動の多いオマリー。老齢で教会の権威を重んじるフィッツギボンはそんなオマリーにあまり良い心証を持てないでいるが、オマリーはそのおおらかさと分け隔てのない態度で周りの人々を次第に変えていく。
オマリーが結成した不良少年合唱隊はみるみる上達し、昔なじみのオペラ歌手ジェニー・リンデンは教会の資金援助のために合唱隊と共に演奏旅行に行くことになる。またオマリーが作った曲が出版業者に売れたことで教会の運転資金が好転しかかったと思われた時、教会は不慮の火災で全焼してしまう。オマリーは絶望したフィッツギボンを励まし、教会再建に奔走する。実業家ヘインズの息子テッド・ヘインズは家出娘のキャロルと出会い、二人は恋に落ちて結婚することになる。当初猛反対した父ヘインズだがキャロルの一途さに心打たれ、2人を祝福し、教会への寄付も申し出る。公演に出ていたジェニーと合唱隊も収益金を持って戻り、ドミニク教会は再建への目途がつくようになるが、オマリーは他の教区の貧しい教会への異動を命ぜられる。

クリスマスの夜、ドミニク教会を去るオマリーがフィッツギボンのために用意したプレゼントは思いもよらぬ・・・。

 

f:id:dynger5070-29:20201110121937p:plain

左からオマリー(ビング・クロスビー)・フィッツギボン(バリー・フィッツジェラルド

・ジェニー(リーゼ・スティーヴンス)

 

ラストシーンは泣ける!ので書かないでおきます。

このシーンで多くのアメリカ人が号泣したんじゃないか?と想像します。

何度か登場する「アイルランドの子守唄」(トゥ~ラル~ラルラ~♫)が実にうまく使われて胸に沁みます。

不良少年たちがあっというまに合唱隊に変身し、いい子たちになるという展開に安直すぎるだろと突っ込まないでいただきたい。

合唱は人を浄化する作用があるということで(^^♪

前稿の『コーラス』とは違い、作品の中での合唱の比重はさほど重くありませんが、映画を通して欧米における聖歌隊というものが日本人が思うよりも性善説的な「神性」を持つのだろうと想像できますし、生き生きと歌う子供たちの姿はやっぱり見てて楽しい。

むかし、男声合唱で歌った「三匹のねずみ」なんかも出てきて(ね~ず~み~、さんびき~、は~やいな~、は~やいな~という歌詞だった)懐かしい思いもしました。

 

ということで、今回はこれで。

次回は『歓びを歌にのせて』の予定です。これはちょっと手強いぞ。