「ドライブ・マイ・カー」を観た

映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイト

舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。

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話題の映画です。

2時間59分の長さを感じさせない、心地良い緊張感を持った映画でした。

劇中でチエーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」が重要なファクトとして再現されますが、この映画そのものが舞台芸術のよう。

なんでだろう?と考えながら観ていてBGMの少なさに気づきました。

俯瞰で捉えたサーブ900が走るシーン、ドライバー渡利みさきの生家でのシーン、など通常BGMで登場人物の心情を表現しようとするところで、(台詞も少ないが)無音であることが多いのです。

現実を生きる私たちの生活の中で私たちはBGMを持たない。心の中でなにがしかの音楽は流れていたとしても他者には聴こえないのです。

この映画はテーマとしては寓話的(村上春樹作品特有の)なものと思いますがその中にとても峻厳な人間の実存する苦悩が描かれています。その苦悩は他者には聴こえにくい心の中のBGMなのかもしれません。

 

戯曲「ワーニャ伯父さん」のラストシーンでのソーニャの台詞。

「仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ…」

 

本作の登場人物たちの苦悩が氷解するために必要なこの台詞はソーニャを演じる聴覚障害のある韓国人の手話によって美しく語られます。静謐の中で。

 


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アカデミー賞の行方もちょっと気になりますがいずれにしても非常に秀逸な1本だったと思います。